プチ小説「青春の光 107」
「は、橋本さん、どうかされたんですか」
「詳しいことは言えんが、船場君のお母さんが緊急入院をしたということで、本当に気の毒に思っているんだ」
「そうですね、船場さんは兄弟姉妹はおられますが配偶者はおられませんし、週に数回お母さんと一緒に夕飯を食べる時にだけ寛げるという日常だったのが、それもなくなってしまったというのは本当に気の毒ですよね」
「幸い手術後意識が回復して良くなりつつある。だが近所のパン屋さんで毎年買っているシュトーレンを買って小さなイルミネーションをつけてポンチ酒を啜りながらお母さんと一緒にシュトーレンやケーキを食べようかと思っていたようだが、それができなくなった」
「まあ、船場さんの年齢だと普通は子供が成人してクリスマスツリーを飾って一緒に食事をするというのが普通なんですが、若い頃にいい出会いがなかったので仕方がないですね」
「船場君がディケンズの『クリスマス・キャロル』に興味を持つのは主人公スクルージの半生に似通ったところがあるからなのかもしれないよ」
「でも船場さんは決して、決してお金持ちではありませんし、4人の幽霊に導かれて善人になったということもありません。なのでこれからも懸賞小説で賞をもらおうという見果てぬ夢を追い続けることでしょう。最近、オニヤンマに読書を妨害される夢や当て所もなく冷たい雨に濡れながら深夜の街をさぶいさぶいと言いながら歩いている夢を見られたようですが、夢でさえ暗くてどうしようもないものになってるように思います」
「われわれならこれからは心を入れ替えて人のため世のためになるようなことをして余生を生きようと思うのだが、船場君は相変わらず...」
「歌劇「タンホイザー」の主人公も恋人、友人が旧友を迎え入れてくれたのにヴェヌスの誘惑に負けて友人たちと諍いを起こしうまくいかない。人間生きていくためには我慢が肝心なんですが、船場さんの場合勝手気ままに生きて来た報いという感じですね」
「そうしたことが原因でクリスマスになると一緒に祝ってもらえる人がいないと悲しい気持ちになるというわけだ。......。でもよく考えると船場君の場合、失敗続きだがいろいろやっていると言えるかもしれない」
「そうですね、2つの好きなものを多くの人に知ってもらおうというひたむきな姿勢はありますね」
「それが愛読しているディケンズの小説とクラシック音楽というわけだ。そうしてそのふたつが合わさって結実したのが、『こんにちは、ディケンズ先生』全4巻というわけだ」
「他にディケンズで言うとディケンズ・フェロウシップの新着情報にたくさん投稿しているというのがあります。ディケンズの著書をはじめとする英米文学の感想文、ディケンズの小説の名場面を切り取り朗読用台本としたプチ朗読用台本、ディケンズの長編小説の登場人物紹介などがありますね。それからクラシック音楽で言うと、自分の愛聴盤を名曲喫茶ヴィオロンの装置で聞いていただくLPレコード・コンサート、クラリネットの魅力を知ってもらうため自らクラリネット教室に通いクラリネット日誌を書いたり自分の演奏をホームページに掲載したりしているというのがありますね」
「そうそうそもそも船場君がホームーページを始めた切っ掛けは自分の書いた愛聴盤200の小文のエッセイを出版社に持ち込んだところ取り合ってもらえなかったからで、彼のいろいろな活動のはじまりはここにあると言っていいだろう」
「いろんな文化的活動の原点ですね」
「船場君は恋愛はさっぱりだったが、他のことは地道にやってある程度実現できていると言っていた。今のところ何がしたいのかと尋ねたら、LPレコード・コンサートの再開と懸賞小説で賞を取ることと言っていた」
「懸賞小説で賞を取ることが出来て出版社に企画出版してもらえたらLPレコード・コンサートにもたくさん来てもらえるだろうし、クリスマスを一緒に楽しく過ごしてくれる友人もできるかもしれませんよ」
「そうだね、そういう華やかな会に縁がなかった船場君が笑顔でそういう会に参加、いやそういう会を企画できるようになれば、振り返ってみて彼の人生も満更でもなかったということになるだろう。これはスクルージとはちょっと違うが、彼なりに満足できるだろう」
「ここしばらく船場さんには小説を書くので頑張ってもらいたいですね」
「そうだね、それがうまく行けば次のステージへの移行も可能となり、彼のことだからいろいろな新たな企画を考え出すだろう」