プチ小説「朗読はえ~よ」

新型コロナウイルスの蔓延で、ゴールデンウィークに遠出をすることもなくなり、4日間暇だったので、以前から作りたかった、ディケンズの中編小説『炉端のこおろぎ』の朗読用台本「ジョンの苦境」を完成させた。以前からやりたかったが、まとまった休みが取れないので、取り掛かれないでいたが、じっくり時間を掛けて作成できてとても良かったと思っている。だけどそもそもぼくが、朗読用台本を作成するようになった切っ掛けはなんだったんだろう。2011年9月に『こんにちは、ディケンズ先生』を出版して、ディケンズ・フェロウシップ日本支部に拙著を送ってしばらくして、秋季総会を京都大学で開催するので参加しませんかとの案内をいただいた。京都の大学に行っていたが、京都大学の構内には一度も入ったことがなかった。一生の記念になると考え、少し勇気がいった(というのはほとんどが大学の英文科の教授の方だったから)が、思い切って参加した。偉い先生から声を掛けていただき、励まされたりしたぼくは、小説を出すだけでなく、もっと何かディケンズの業績をたくさんの人に知ってもらうために貢献できないかと思った。その翌年の春季大会が早稲田大学であり、この時も励ましていただいたが、たまたまその時受付に、拙著とディケンズ・フェロウシップの理事や会員の先生方が著された(編集された)ディケンズの朗読用台本の本が置かれてあった。この時ぼくは、ディケンズの小説を抜粋して、いくつかの翻訳を読み比べ、さらに導入の前口上をつけて読みやすい台本にすれば、フェロウシップの先生方に興味を持ってもらえるかもしれないと思い、それから数年かけて、12の朗読用台本を完成させたのだった。ディケンズ自身も自分の小説をもとにして朗読用台本を作成しているが、ぼくは自分が朗読して面白そうだなだなと思った場面を繋げて、前口上でわかりやすく解説するようにして作ったが、面白くて楽しい台本を作成できたと思っている。「ミコーバーの爆発」(『デイヴィッド・コパフィールド』から)、「ピップの改心」(『大いなる遺産』から)、「有頂天になったスクルージ」(『クリスマス・キャロル』から)、「エイミーの献身」(『リトル・ドリット』から)、「エスタの幸福」(『荒涼館』から)、「オリヴァーの危機」(『オリヴァー・ツイスト』から)、「デイヴィッドの決心」(『デイヴィッド・コパフィールド』から)、「カートンの愛情」(『二都物語』から)、「メアリーと愛息」(『バーナビー・ラッジ』から)、「ピクウィック氏の気概」(『ピクウィック・クラブ』から)、「チアリブル兄弟の慈心」(『ニコラス・ニクルビー』から)、「ネルとおじいさん」(『骨董屋』から)と今まで12の朗読用台本を作成したが、最後の朗読用台本が完成してから、5年ほど朗読用台本が作成できなかった。というのは、14の長編小説と未完の『エドウィン・ドルードの謎』を何度も読み返したが、朗読用台本とするのに十分な量があり、前口上を付けるだけで朗読にすんなり入って行けるようなところがなかったんだ。それでこれ以上は無理かなと思っていたところ、今年の2月に村岡花子氏と本多顯彰氏がそれぞれ翻訳した中編小説『炉端のこおろぎ』を読み、これなら朗読用台本にできそうだと思ったのだった。せっかく読んでいただくのだから、ぼくの朗読用台本は、後半で盛り上がるものか心動かされるものかで主人公の性格が際立つものという趣向を凝らしており、普通の小説として読んでいただいても楽しい(ディケンズの小説のええとこ取りをしたのだから当然のことだが)ものになっている。そういう自信作だったので誰かこの朗読用台本を読んでいただけないかと思っていたが、ある時、私が3ヶ月に1回LPレコードコンサートを開催している名曲喫茶ヴィオロンで何度かお話させていただいたことがある荒井良雄先生が朗読会を開催されていることを知り、あつかましくもマスターに原稿を渡していただくようお願いしたのだった。詳細は書かないが、結局、亡くなられるまでに荒井先生は「ミコーバーの爆発」と「カートンの愛情」朗読会で読んでくださり、「ミコーバーの爆発」を読まれた時に、私は忙しいから、この人に相談したらとグローブ座の俳優さんを紹介していただいたのだった。「カートンの愛情」は残念ながら録音できなかったが、「ミコーバーの爆発」は自分で録音したものを時々再生して聴いている。荒井先生の熱演もあって、とても楽しいものになっている。荒井先生が紹介してくださったときに、その方にこれからのことについて話していればぼくの台本を読んでくださったかもしれないのにと、今では悔やんでいる。でも会場はヴィオロンを借りるとしてもギャラや東京に来る費用を捻出できないし諦めざるを得なかっただろう。万一、『こんにちは、ディケンズ先生』が売れて、羽振りが良くなり、有名になったら、その俳優さんに朗読をお願いしようと思っている。ネットでお顔を見るとおだやかな感じがするから、少しは話を聞いてもらえるのではないかと思っている。