プチ小説「青春の光83」
「は、橋本さん、どうかされたのですか」
「田中君は、どうも思わないのか。最近の船場君の行動を」
「船場さんは、4月に還暦を迎え仕事も定年となったんですが、再雇用され今まで通りに働いておられます。6月8日には長野でディケンズ・フェロウシップの春季大会があり、大会の前に以前から親交がある加賀山卓朗氏と島村楽器店でロンドンデリーエアを演奏されました(BGMで演奏が流れます)。6月25日のLPレコードコンサートには『こんにちは、ディケンズ先生』の表紙絵、挿絵を描かれた小澤一雄氏が来られ、船場さんと一緒にカラヤンの名盤を鑑賞されました。7月13日には日帰りで十津川村の谷瀬の吊り橋を渡りに行ったり、8月3日から一泊して大塔コスミックパーク星のくにに天の川銀河の写真を撮りに行かれたようです」
「曇り空でほとんど星が見られず、その上用意したライカM9、ニコンD90のバッテリーが落ちていて、星のソムリエのおじさんの指導を受けられなかったと言っていたな」
「そうですね。それでこの夏何かを思う存分撮影したいと思われたのか、茨木辯天花火大会(8月8日)となにわ淀川花火大会(8月10日)に行かれたようです。この時は、天候もロケーションもよく、いい写真が撮れたようですよ」
「この夏、船場君は他にもどこかに行くのかな」
「いえいえ、これからはいよいよ『こんにちは、ディケンズ先生2』改訂版の校正が始まり、その後も3巻、4巻が出版されるので、ほとんどの週末がそのために費やされることになるでしょう」
「それほど『こんにちは、ディケンズ先生』を売り出したいと思うのなら、60才になるまで仕事に精を出したことだし、退路を断って、出版のことだけ頑張ればいいと思うんだが」
「橋本さんが言われる通りですが、何をするにもお金がいります。再雇用になったから良かったものの、もしそうでなければ、船場さんは年金が出るまでの約5年間はアルバイトをしたり貯金を切り崩して生活しなければならなかったんですから。宣伝広告は有効かもしれませんが、何十万円も出して掲載してもらうだけの余裕は船場さんにはありません。船場さんは、以前からホームページに掲載しているプチ朗読用台本を誰かにいつか朗読してほしいと考えていて、故荒井良雄先生から紹介されている方があるんですが、お金の目途が立たないので、連絡を取っていません。でもこれはずいぶん前のことですから、荒井先生が紹介された方は忘れられているかもしれません」
「船場君は、プチ朗読用台本を朗読してもらうことを考えずに『こんにちは、ディケンズ先生』をいかに売り出すかだけを考えればいいように思うんだが」
「急がば回れという言葉がありますが、船場さんはその戦略じゃないんですか。船場さんの大きな目標は、若い頃からお世話になった、ディケンズを頂点とするイギリス文学とクラシック音楽に恩返しをしたいということですから、ディケンズという偉大な作家のことを知ってもらうために『こんにちは、ディケンズ先生』を少しでも多くの人に読んでもらえれば、それでいいわけです」
「でも、売れるに越したことはないダル」
「それを言うなら、売れるに越したことはないだろうでしょう。そうです、船場さんも普通の人間ですから、大金持ちに成れたら幸福感を感じられるでしょう。でも、たくさん売れると愛読者の方から次の作品を求める声が上がるかもしれません。地道に『こんにちは、ディケンズ先生』をライフワークとして書き続けていれば、今までやって来た、ホームページの更新、クラリネットの練習、たまにする山登り、たまにするジョギング、たまにする小旅行、LPレコードコンサート、小澤一雄氏の個展を訪ねること、ディケンズ・フェロウシップ春季大会、秋季総会への参加などを続けることは可能ですが、いわゆる売れっ子作家になってしまうとそういうことをしている時間がなくなるかもしれません。せいぜい船場さんが活動できるのは、あと20年くらいでしょう。その短い期間にひたすら端末に向かって小説を書くようになるのがいいのかどうかです」
「しかしだな、すでに書き溜めしているプチ小説があることだし、それを使えばいいんじゃないか」
「出版社の方がそれでもいいと言ってくだされば、道は大きく開けるでしょうが、3、4年前に苦労して書いた小説ではなく。評判になってから幸福感に満ちた作家が創作したものを読みたいんじゃないのかなと思うんです」
「こうしたわれわれの発言も絵に描いた餅に終わらないようにしないとね」
「そのためには、まず4巻まで出したという実績を作ることですね」