『バーナビー・ラッジ』(小池滋訳)について その2       

このチャールズ・ディケンズの5作目となる長編小説をはじめて読んだのは、今から12、3年前だったと思う。その時の感想文に物語の概要を書いてしまったので、今回はこの小説の魅力、興味ある登場人物について述べてみたい。
この小説は、22年前に起きた殺人事件の謎解き、群衆が暴徒となりロンドン市内の人と建物を蹂躙すること、黒幕チェスター氏(サー・ジョン)とのジェフリー・ヘアデイル(以下ヘアデイル氏)の対決、ヘアデイル氏の姪エマ・ヘアデイルと鍵屋ゲイブリエル・ヴァーデンの娘ドリー・ヴァーデンそれぞれが幸福な家庭を築くまで、暴徒を組織した(生み出した)ゴードン卿、ガッシュフォード、暴徒を扇動したり、率いたヒュー、デニス、サイモン(シム、シマム)・タパーティットの運命等いくつかの物語が同時進行するが、やはり母親思いの主人公バーナビー・ラッジが障害にもめげずにお供のグリップ(烏?九官鳥?)と共に母親とロンドンに同行して騒乱に巻き込まれ、死刑を宣告される。しかしヘアデイル氏、ゲイブリエル・ヴァーデン、エドワード・チェスター(チェスター氏の息子)が判事、陪審員に働きかけて、死刑からの完全放免を勝ち得、母親との落ち着いた生活に戻るというのが幹となるストーリーだと思う。
この物語の最初のところで登場する顔を隠している付き合いの悪そうな旅人は、バーナビー・ラッジの父親(以下、ラッジ氏)であるが、この時点で彼は殺されて池に投げ入れられたことになっている。ラッジ氏はメイポール亭で22年前の殺人事件があった時の話を聴いた後、外に出ようとしてジョー(ジョーゼフ)・ウィレットから豪雨の中旅を続けるのは危険と言われたが、それを振り切って先を急ぐ。無鉄砲な速さで突っ走ったっため、馬車とぶつかりそうになる。馬車に乗っていたのは、ゲイブリエルで彼は旅人の迷惑な行動を非難し名前を名乗れ、つらを見せろと言うが、ラッジ氏は「貴様の生命は危なかった」との捨て台詞を残して走り去る。この後ラッジ氏はバーナビーの母親の前に姿を表し、お金の無心をする。その後もラッジ氏は無心にやって来て、母親はラッジ氏から逃亡するために大都市ロンドンの雑踏の中に身を隠すことにする。ロンドンに出たバーナビーは友人のヒューから誘われて、ゴードン卿を後援していて後に暴徒と化す団体に組み込まれていく。バーナビーは騒乱の中で暴力を振うことがあったため暴動の鎮圧後、ヒューやデニスと同じ扱いを受け、死刑を宣告されてしまう。その後ヘアデイル氏等の尽力によりバーナビーは開放される。一方、父親のラッジ氏は、群衆が暴徒と化してロンドン市街が焼き討ちされる中、ラッジ氏によく似た人物を見た人がいるという報告をウィレット氏から受けたヘアデイル氏に捕らえられ、ニューゲイト監獄に収監される。ここで親子は一対一の(母親なしの)対面をする。ラッジ氏はスタッグ(この時のスタッグとの会話で殺人事件の謎解きがされる)から悪知恵を与えられてバーナビーの母親に偽証をさせることを申し合わせたが、ニューゲート監獄が襲撃に遭い、その悪事は実行されず、結局、ラッジ氏は監獄に逆戻りし死刑を宣告され、刑に処せられる。メインストーリーとなるのはこういったところだが、第64章から第69章にかけての暴徒と化した群衆の場面はまるで映画のスペクタクルシーンを見ているようで、ディケンズの筆力を実感できる。また2人の女性も魅力的で、ドリーがヒューに言いよられる場面やドリーとエマが群衆に監禁される場面では早く救いの手が差し伸べられないかと思った。さらにこの小説には、ヘアデイル氏と2人の悪人との対決の場面がそこここで現れて、物語を重厚なものにしている。兄をラッジ氏に殺害され、復讐の鬼と化し犯人探しに明け暮れたヘアデイル氏は28年経過して(ゲイブリエルの馬車とラッジ氏の馬が接触してから6年が経過していた)ようやく犯人を捕まえる。またヘアデイル氏は幼少期から敵対していたチェスター氏に対してはその悪事を暴き、非合法な決闘で決着を付けるに至っている。(その後、ヘアデイル氏は逃亡するが、詳細は本書をお読みください)
前回の感想文で、私はデニスのことを「憎めない悪人」と書いたが、この小説はとにかく悪人が多い。それで暗い印象があるのかもしれない。暴徒を集めたゴードン卿、ガッシュフォード、暴徒を率いたヒュー、デニス、シム、殺人を犯して22年間雲隠れしていたバーナビーの父ラッジ氏、盲人ながら凶悪なラッジ氏の友人スタッグそれから紳士でありながら悪人のチェスター氏の悪事をディケンズはなまなましく描いてみせている(少し疑問に思うのは、ゴードン卿、シムの刑罰が極刑にならなかったことである)。
暗い描写ばかりが続いたので、最後はこの小説の明るいところを。ディケンズの小説には、子供たちの姿を生き生きと描いて楽しませてくれるところがあるが、最後にそこを引用させていただいて、明るい気持ちになっていただきたいと思う。ドリーがジョー・ウィレットと結婚してからの幸せな家庭を描いたところである。
「間もなくジョー・ウィレットとドリー・ヴァーデンが夫婦となり、かなりの額の銀行預金(鍵屋はたっぷり持参金をつけてくれるだけの財産を持っていたから)をもってメイポール亭を再開したことは、間違いなしの事実である。間もなく真っ赤な顔をした小さな男の子が、メイポール亭の廊下をよちよち歩き回ったり、玄関前の芝生で足を蹴上げたりする姿が見えたことも、間違いのない事実である。年で数えていけば間もないうちに、真っ赤な顔の小さな女の子、もうひとり真っ赤な顔の小さな男の子、それから男の子女の子の一連隊が姿を現した。だからいつチグウェルへ行っても、村の通りとか、草原とか、農場の庭―いまや宿屋の他に農場も経営しているのだ―に、簡単には勘定できぬほどの小さなジョーやドリーが遊び回っている姿が、きっと見えるだろう。こうした子供が勢揃いするには、そう長い時間はかからなかった」